山田地蔵尊は地元で「山田のお地蔵さま」と言われており、
安産子育、厄除や子供の息災、諸病平癒など霊験あらたかで、
参拝する人が絶えません。
しかしながら戦国時代の中頃、この地で悲しい事件が起きました。
この地方の時の領主・宗像大宮司氏雄は長州で戦死しました。
すると側室の子氏貞を跡取りに立てようと企てる野中勘解由、
嶺玄蕃などが山田の御殿に乗り込み、正室の菊姫と母堂、
四人の侍女が惨殺されました。時に菊姫十八歳、母堂は
五十三歳であったと言われています。
以後、この六人の婦女子の怨霊の崇り凄まじく、「九州一の
怪談」と言われるほどの大惨劇が宗像一円で起こります。
六人の惨殺に与した者、そしてその一族ことごとく
謎の変死を遂げたと言われています。
曹洞宗増福院は菊姫主従の怨霊を鎮めるため六地蔵を刻み、
その霊を祀りました。その後ようやくさしものの変事・
怪異が収まったと伝えらています。
我々は、敬虔な気持ちで山田地蔵尊を訪れ、手を合わせて参りました。
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