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三日月電波① 絵を描くきっかけ

ミず鬼ずム・メンバーの三日月電波はアート作品を発表する傍ら、

メキシコプロレス(ルチャ・リブレ)の覆面レスラーとしても活動しています。


三日月電波の思い出話(手塚治虫先生と水木しげる先生の出会い)、

妖怪画を描くようになったきっかけ、そして将来の夢など全5話で公開致します。


①絵描きになろうと思ったきっかけ



変な話なのですが漠然と物心ついた時から


絵描きになりたいと思っていました…



つまり、小学生の2年生ぐらいにはハッキリ意識していたかな…


5歳の時に描いた絵が、何か有名な絵の先生に


「この子は、自分の目で見たものを描いている」


と褒められたらしく…それも嬉しくて…



そんなこともあり、休み時間には、粘土をこねくり回したり


下手糞な漫画を描いたり、拾ってきた木の枝を削ってペーパーナイフを


作ったりして、ひとりだけ図画工作の授業時間が異常に多い


小学生生活をすごしていました。



そんな子供時代、10歳ぐらいのころ手塚治虫という存在に出くわします。


母が手塚治虫のファンでしてたしか…神戸の阪急百貨店にイベントで


手塚治虫のサイン会があるという事で家族で行ったのです。



イベント会場にあらわれた手塚治虫先生という存在はあのとおり


ベレー帽を被り、黒縁の眼鏡をしており、終始ニコニコしていました。



口を開くと笑いだすような面白い事をしゃべり


(残念ながら、どんな話をしたのか思い出せない)


油性マジックを振るうと白い紙の上にユニコやリボンの騎士のキャラクターが


本当にポンポン生まれ出され、子供心ながらマジシャンのようだと


と感心していました。



そして、私はユニコのイラスト入りサインをもらいました。



つまり、はじめて私の遭遇した手塚治虫という存在は


優しい大人のオーラをまとったそして凄い力を持つ魔術師でした。



そんな訳で先生の存在に興味を持った私は


先生の描いた漫画を読みたいと思った訳です。



で、はじめて読んだのが「アトム」や「リボンの騎士」という子供向けのものでなく


「火の鳥 鳳凰編」という大人向けの漫画でした…


我王と茜丸という2人の芸術家のドロドロとした人間関係と物語の終わりに


幸せとなった人物は皆無という濃い内容に読い終わったときは…


えっ…あの優しいそうな人がこの漫画を描いたの…


信じられない…って気持ちがいっぱいでした(笑)



でも、それは衝撃だった分、間違いなく私の現在の創作活動の姿勢に影響をあたえました。



創作には自分の全ての思いをぶつけなくてはいけないという姿勢…



本当の実力者は優しく見えても、深い心の闇を抱えているものなの…



私の創作するときの心には、


どこか我王というキャラクターが潜んでいるのです。


②へ続く(近日公開予定)


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