福岡市早良区の曲淵という場所に、
心温まる民話が残されています。
昔、この場所に鋤の平を作る甚五兵衛という者がいました。
ある年の冬、ひとりの旅の僧が一夜の宿を求め
甚五兵衛の家を訪れます。
生活は決して楽ではありませんでしたが、
甚五兵衛はせいいっぱいのおもてなしをしました。
とても感謝したお坊さんは、手紙をしたため
高祖の城主に渡すよう言い残し、去っていきました。
高祖の城主原田氏は手紙を見て驚きました。
その旅のお坊さんは最明寺入道時頼(北条時頼)様だったのです。
早速、甚五兵衛に近傍の地を与えて部下にしました。
やがて甚五兵衛は曲淵城主となり、名も曲淵河内守と改め、
曲渕一帯を領したと言われています。
『筑前国続風土記』によると彼の子孫は悲しい運命を辿りますが
一介の鍬作りの鍛冶屋が城主になったという…立身出世のお話は
心に響くものがあります。
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