神と妖怪について
- ミず鬼ずム
- 2021年1月17日
- 読了時間: 5分
更新日:2021年1月20日
昨年、妖怪画家・三日月電波は四神(青龍、玄武、白虎、朱雀)を遂に完成させた。
我々は昨年3月、四神相応の地と言われる太宰府を訪れ、四神や麒麟などに詳しい
「蛇の目うさぎ」のオーナーと一時間以上に渡る対談を行った。
三日月電波の作品にとても興味を示して頂き、額に入った四神の手ぬぐいが現在も
店内に展示されている。オーナー拘りの手作り雑貨が並ぶ素敵なギャラリーである。

蛇の目うさぎで撮影した画像(※三日月電波のマスクはハメコミ合成です)
妖怪画を発表する上でやはり「神と妖怪」について言及しなければならないだろう。
ただ、我々はあくまで妖怪のイラストを制作するアーティストであり、民俗学や
文化人類学等を専門的に学んだ訳ではないので、我々の考察は学術的には的を
射ていないかもしれない。厳しいご意見を頂くことを覚悟の上で、「神(四神)」と
「妖怪」について述べてみたいと思う。
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「四神」と「妖怪」について 妖怪画家・三日月電波による考察
妖怪を、どの範囲の存在としてとらえるかは迷う所であります。
例えば、白沢や麒麟…今話題のアマビエなども巷の子供向けの
妖怪図鑑などで紹介されていたりしますが
あれは神様である!
瑞獣(吉報を占う動物)である!
妖怪ではないのでは?
と言われますと反論し難いものがあります。
しかし、妖怪を研究をする立場からすると避けれない問題でもあります。
つまりのところ「妖怪とは何か?」という問いに集約されてしまいます。
この「何か?」という問は厄介で、古くは哲学者ソクラテスが絶対勝てる
弁論術として戦術化したほどです。
つまり「何か?」に正面から答える事は出来ません。
議論が破綻してしまうのです。
ですので、これから話すことは私個人の妖怪の定義です。
以下のことを気に留めて妖怪としています。
①異形の姿であること
②個性が存在すること
③歴史がある言伝えであること
④自然現象、錯覚現象または歴史的事件の象徴であること
(この中で仏は含まれないなぜなら、仏等は人間の理想の姿であり
個性も姿も超越した存在だからです)
例えば白沢、麒麟、アマビエ…上の①②③④が全て当てはまります。
問題となる四神獣などもそもそも、中国思想の四季の擬人化でありますので
④その他、
①③は当然の該当し
②の個性は微妙な所なのですが季節の象徴であり、人生を四季に置き
換えた例えとしての血気盛んであるとか落ち着きがあるなど個性は
存在するため「妖怪」の中に加えております。
このように、自分の定義に当てはめれる存在を枠に納めて…
「妖怪」としております。

※2020年6月発行 妖怪言霊通信(第4号・四神特集)
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「神」と「妖怪」について 鬼のアーティスト・枕童子による考察
人に福(益)をもたすものが神であり、害を為すものが妖怪であると唱える人もいる。
確かにその説が一番分かりやすい。だが、神には貧乏神や疫病神や死神だっている。
又、オオクニヌシの国作りで登場したオオモノヌシは崇神天皇の治世の時に、疫病を流行
らせる祟り神として登場する。つまり、神だからと言って必ずしも人間を益をもたらす訳では
ないのである。逆に妖怪の中には座敷童子や金霊のように縁起の良いものも少なくない。
人間は数千年もの間、自然と向かいあって生活しなければならなかった。しかし、自然は
人知も及ばないほど強大な力を有しており、人間は自然の強さ、無慈悲さを意識しながら
暮らさなければならなかった。
まったく訳の分からないことが起こったり、不思議な現象があらわれたりして、自然は
人間を怖がらせてきたのである。そのような思議し難い現象や出来事を、物の怪や、
百鬼夜行、魑魅魍魎などといった恐ろしい言葉であらわし、やがて化け物やお化け、
そして近代になって、妖怪と呼び習わすようになったのである。
又、初めは一人か二人が遭遇した不思議な出来事や怪現象を多くの人が共通に
体験したり、意識したりすることによって、ナニかが人々が想像したような決まった
姿かたちであらわれ、人間と関わるようになっていったのであろう。
そのナニかが正に妖怪であり、神であると言える(厳密に言えば、神は人に見られては
いけないのだが…)。
昔の人々は周りで起こる不思議な現象を神秘的なものとして、それが毎日の暮らしに
幸せをもたらしても不幸をもたらしても、神がそうしているのだと考えた。
しかし、時代が進むにつれ、神の中には、神聖な霊のもつ不思議な力をなくし、
落ちぶれてしまい、妖怪と考えられるようになったものもたくさんある。
そのようにして人間にとって良い働きをする妖怪は神としてあがめられるようになり、
悪い働きをする妖怪はそのまま妖怪として恐れられたのである(これにも諸説あり)。
以前、私は鬼の研究家と「鬼神(おにがみ)さま」について語り合ったことがある。
鬼と言えば、百鬼夜行という言葉を見て分かる通り、妖怪の筆頭格である。
しかし、鬼を神として祀っている神社が日本に幾つもあるのをご存じだろうか?
代表的なものを挙げれば青森県弘前市の「鬼神社」、埼玉県嵐山町の「鬼鎮神社」、
大分市の天満社境内の「鬼神社」、福岡県添田町・玉屋神社境内の「鬼神社」である。
ちなみに枕童子は2000年、福岡県の鬼神社を訪れた。
鬼が神として祀られていることに違和感を感じる人もいると思うが、鬼は本来、
死者の魂をさし、それに加えて、人々が抱く超人類的なモノへの虞れや敬いの
念と結びつき、鬼を祖先の霊と考えるようになり、人々の生活に禍いや福をもたらす
ものと考えるようになったと推察される。
日本の鬼に極めて大きな影響を与えたと言われるのが、インドや中国の鬼である。
鬼は元々姿なきものであり、インドの場合、鬼は神と表裏をなすものであると考え
られていた。この場合の鬼はあくまで「鬼神」なので、多くの人がイメージ(例えば
退治されたり、嫌われたり、成敗されたり)するような妖怪としての鬼とは一線を画す
ものであるが、鬼は鬼でも祖霊信仰の対象となるような鬼もいるというのは興味深い。
鬼がそうであるように、やはり神と妖怪は表裏一体(対極にあるようだけれども、
決して切り離すことのできないもの)ではなかろうかと思う。
我々はもっともっと鬼や妖怪に関して知識を深めていかなければならないが、
学術的な柵に極端に縛られず、のびのびと「人ならざるモノ」、「異形のモノ」
を制作していけたらと考えている。
(参考:「鬼力伝説」(大江町役場発行/「日本の妖怪」(講談社)等)

陶鬼面(陶板レリーフ 枕童子制作)
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