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ミず鬼ずム

鬼瓦


ONIGAWARA(デザインアート by 枕童子)



ミず鬼ずムの枕童子は1999年より自転車、原付バイク、青春18切符等で様々な鬼や

妖怪に纏わる土地を巡ってきた。


我々が発行している「妖怪言霊通信」 1月号でも紹介しているが、自転車で旅をしていた

大学3年の夏。広島県尾道市に到着した時、私は妙宣寺というお寺に泊めさせて頂いた。

翌朝、目が覚めてお堂から一歩外へ出ると、何とも不思議な感覚に襲われた。何だろうと

周りをよく見てみると、そこには厳めしい顔をした鬼瓦が無数に転がっているではないか。

次の瞬間、「鬼瓦美術館」と書かれた案内板が目に飛び込んできた。そこには「仏に帰依

して善神となった鬼もいる」と書かれてあった。「鬼にも良い鬼がいる…?」

そこから鬼の魅力にとりつかれた私は京都の大江山や、岩手県北上市など鬼の施設の

ある場所を中心に各地を訪ねた(枕童子の作品を常設展示して下さっていた鳥取県伯耆町

のおにっこランドは2005年に閉鎖)。


2017年にミず鬼ずムを結成してからは、メンバーの三日月電波とともに福岡県の鬼や

河童などの伝承の残る土地に足を運んでいる。


2021年1月。私は妙宣寺に電話をして、鬼瓦美術館について尋ねてみた。

ご住職様の御奥様だったろうか、快く電話インタビューに応じて下さった。

妙宣寺に展示されている鬼瓦は平成元年に大屋根修理をした際におろされたもので

江戸後期の作であるとのこと。ちなみに尾道はかつて石工とならび瓦職人を多く抱え、

その技術水準は日本全国に知れ渡っていたそうである。

この妙宣寺の鬼瓦。顔を三度撫で、その苦労を労わってあげると、善神を供養する功徳

によって子孫繁栄の利益を授かることができると教えて頂いた。


1999年、コンパクトカメラで実際に撮影した画像(妙宣寺・鬼瓦美術館)


私に素晴らしい”きっかけ”を与えてくれた「鬼瓦」の歴史について今回、触れてみたい。

ちなみに鬼瓦は鬼の顔をしていなくても鬼瓦であり、鬼の顔をしているものは鬼面瓦と呼ぶ。


屋根は、家屋を風雨から守るものである。実用性と装飾性に加え、建物の安全を祈るという

呪術的な面が加わり、鬼瓦が考え出されたと推察される。


7世紀になると、法隆寺や四天王寺をはじめ、次々と寺院が建立されていくが、まだ厳密な

意味での鬼瓦はみられない。瓦が日本に伝わったのは飛鳥時代で仏教と共に百済から

伝わったが、瓦のルーツそのものは中国である。


わが国最初の棟端飾瓦は鬼面文ではなく蓮華文と言われている。奈良時代になると、

鬼面文や獣面文の鬼瓦があらわれる。大宰府出土の鬼瓦は、わが国最初の鬼面文鬼瓦

(諸説あり)で、新羅の鬼瓦をモデルにしたものではないかといわれている。

九州国立博物館所蔵とあるので、後日、太宰府に赴く予定である。


奈良時代になると、各国での国分寺造営が契機となり、各地で寺院建築が盛んとなるが、

この鬼面文が全国に広まって行き、それぞれの地方で独特の鬼面文を生み出していく。

鬼は天からやってくる邪鬼を追っぱらい、寄せつけまいとする威嚇の表情である。

尚、鬼瓦と呼ばれるようになるのは中世以降と言われている。室町時代は鬼瓦がもっとも

精彩を放った時代だといわれ、輪法など仏具を頭につけたものがみられるようになる。


戦国時代から安土桃山時代になると、次々と各地に大きな城が築かれ瓦の需要が一気に増し、

大量生産が必要となった。燻瓦の製作がはじまったのもこの時代であり、織田信長の安土城

でも使われたと伝えられている。


江戸や京都などの都市に限定されるが、一般民衆の家に瓦が使用されるようになるのは

江戸時代中期以降で、特に八代将軍徳川吉宗が防火の観点から瓦屋根を奨励してから

普及しはじめた。各地に瓦職人が現れ、職人たちはそれぞれの鬼瓦をつくるようになる。

ちなみに私は唐津焼の窯元巡りによく行くのだが、呼子に懇意にしている瓦職人がいる。


ただ鬼が妖怪視されていく時代相を反映するかのように、鬼の表情が次第に厳しさを失って

行き、やがて、水の字、福の字、梵字に宝珠、更には恵比寿、大黒、竜や鶴、亀の紋様など

鬼面瓦以外の紋様が施されていくようになる。


明治以降、瓦葺きが民家に普及して行き、鬼瓦は規格化された単純な形のものとなっていく。


以上が、鬼瓦の歴史を簡単に要約したものである。


ちなみに酒呑童子で有名な京都府福知山市の大江町は正に鬼をテーマとした街づくりを

行っている。昭和61年から4年がかりで作り出された鬼瓦公園。正に鬼を介した人のつながり

によって創造された公園である。鬼の回廊には日本全国の古鬼瓦が展示され、屋根には

現代の名工たちの手になる鬼瓦が数多くとりつけられている。日本最大級の鬼瓦公園である。

更に平成6年には、日本の鬼の交流博物館の前庭に、高さ5m・重さ10トンの巨大な

大鬼瓦「大江山平成の大鬼」が完成した。日本版のギネスブックにも、日本一の大鬼瓦

と記載されている。


(協力:日本の鬼の交流博物館 村上政市名誉館長様/広島県尾道市 妙宣寺/

参考:大江町発足50周年記念誌として限定出版された「鬼力伝説」より)


鬼瓦に興味を持たれた方は是非、広島県尾道市の妙宣寺並びに京都府大江山の日本の鬼の

交流博物館に足を運んで頂ければ幸いである。


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